みなさん、おはこんにちばんは!!
杜くまです。
杜くまはこの10連休のGWは、前半は帰省、後半は仙台(宮城)で過ごしました。
その後半には、仙台を飛び出し、松島や女川の方へドライブに行ってきたので、そのプチ旅行の紹介をしたいと思います。
この記事では、そのうちの女川について書いていきたいと思います。
杜くま2度目の女川へ
杜くまが女川を訪れるのは実は2回目になります。
3年前、高2の夏休みに東日本大震災のボランティアに参加した際に、1度訪れました。
当時の女川の印象としては、女川駅周辺を除いては以下の写真のような更地が広がっており、
まだまだ復興は道半ばであると感じた地でありました。
この頃は、そのあと自分が宮城県で過ごすことになるとは思ってもいなかったです。
それから3年弱が経ち、杜くまが宮城県に引っ越してきてから1年。
このGWで2度目の女川を訪れてきました。
女川で杜くまが感じたこと
1度目に女川を訪れた際にも、女川駅周辺やシーパルピア女川を歩いたりしました。
当時は、周りが更地ばかりだったので、新しい駅舎やお店が並ぶ様子が異彩を放っているような印象を抱きました。
それから3年弱が経ち、訪れた当日はマルシェが開催されていたこともあり、女川駅周辺の駐車場はどこも満車状態で、たくさんの人で溢れている様子に驚かされました。
また、先ほどの写真の更地だった場所もバイパスが整備されたりと、町の変わりように時の流れを感じました。
ところで、女川駅を訪れた際に外せないのは、駅舎の2階にある展望デッキです。
ここは、海側と山側で景色が全く違うのが魅力的です。
まずは海側の景色から。
一直線に続く歩行者専用道路とその先にある女川港の海が非常にきれいですよね。
次に山側の景色です。
山側は、3年前の写真と現在の写真を比べてみたいと思います。
こちらは3年前の写真になります。
まだまだ一面が更地で、土を運ぶトラックや重機の姿が見受けられました。
そしてこちらが現在の写真です。
公営の駐車場が左右に整備され、コンテナのようなホテルも開業していました。
また、左右や奥の丘の上に注目してもらうと、団地や集合住宅、家が並んでおり、新たな町が完成してきたという印象を抱きました。
まとめ
杜くま自身としては2度目の女川でしたが、その印象はまるで違うものでした。3年前の復興が道半ばだった女川、そして今回の新たな町へと生まれ変わった女川。
東日本大震災に関する報道は3月11日前後しか行われないようになってきていますが、杜くまが仙台に引っ越して感じたことはまだまだ復興は終わっていないということです。
仙台市内でも、被害のあった旧荒浜小学校周辺を通ると、家の基礎部分のみが残ったままになっているところがあったり、多くのトラックが行き来していたりすることが見受けられます。
今回、女川を再度訪れて、自分のような外部の人間が言ってよいことかわかりませんが、津波で失われてしまったものが返ってくることはありません。ですが、その中で新たな今までとは全く違う町として女川が生まれ変わった姿を目にして、感慨深いものがありました。
これを機に、他の被災地にも訪れ、みなさんに今の状況を発信していく機会がこれからもあったらいいなと感じました。